鑑定家を鑑定する。

 「一流鑑定家とはなにか?」

 鑑定士とは何者か?

 鑑定家とはどんな人でしょう。

  粋に着物をきこなし、ひげをしごきつつ器を人差し指の背で叩いて、「いいしごとだね」とつぶやかれる中島誠之助さん。 たぶん一般の方は確実に古美術品の「鑑定士」と聞かれると、まず中島誠之助さんの名前を上げられるのではないでしょうか?。

 確かに中島さんは大変優れた鑑識眼をお持ちの方であり、趣味教養豊かな数寄者というべき人物です。ですが、中島さんは決して「美術鑑定士」という国家資格を持たれているわけではありません。

 ご存じ無い方も多いのですが、外国を別にすれば日本における美術品の鑑定士は国家資格などではございません。

 たとえば考古学や歴史分野の学芸員がそれに近い資格なのですが、学芸員は学術上の体系的知識を前提にして、博物館における諸物の収集、保管、展示および関係運営を行う専門職資格です。

 確かに美術品や歴史的な遺物を扱うという意味で学芸員は美術鑑定士に似ていますが、あくまで学芸員は学術分野のエキスパートであり、 対して、美術品市場を前提に市場価値を予測し、最新の贋作術を理解して真贋を鑑定し、美的要素を含めて品物を評価をする美術品の鑑定士とはかなり異なる資格であると言えます。

狩野

 「学芸員」と「鑑定士」

 もちろん、学芸員資格も持っている鑑定士は多く、職務の内容が全く異質であるというものでもありません。

 同時に古美術業界で「あの人はいつでも店を構えられる」と言われるような美的感覚鋭敏で市場感覚も持ち合わせた学芸員という方を私も何名か知っています。

 しかし、学問の世界を主とする学芸員資格とちがい、美術分野の鑑定士は専門的な体系的知識に加え、市場価値を判断することを含めた精緻な観察力と 、何より直感的な美的感覚による「ものの読み取り能力」が必須です。 広範な知識も大切ですが、なにより美的直感と市場感覚が鋭敏でなくては美術鑑定士はつとまりません。そういう意味でやはり学芸員と比べるとかなり異なった職業です。

 まず、美術鑑定士と学芸員の最大の差異のひとつに、学芸員は論理的机上試験として論文論述などの優劣によって資格として選定できるという前提があげられます。

 学芸員は一律の基準で博物館の関連知識と美術・歴史の知識をペーパーテストで判断し、さらに美術館や博物館での研修訓練によって資格化は可能ですが、美術鑑定士はそうもいきません。

 美に対する直感的「感覚性」という個人の資質的要素も強い要素というものを、公的資格としてペーパーテストなどで一律の基準で資格判定可能か?という側面からみればその難しさがわかります。 机上の理屈では判断することなどではとてもできない、多分にその人の直感も含めた「センス」によって審美眼が左右され、 実際に物の精査を通じて激しく対象物とぶつかり合う実戦の優劣によって鑑定できるかどうかの「資格」があるかどうかが決まるからです。

 「鑑定士」という資格をつくり、それを認定するための基準そのものが測定不可能では無いかという面から資格化が極めて難しいという現実がそこにあります。

 もちろん、現代に至るまでに美術クラブや業界グループなどが、民間資格取得として「鑑定士」をたちあげ、現実にそうした資格は存在します。

 しかし、それが広がりと一般性を持たないのは、個人や法人の金銭的利害にまで踏み込んだレベルの高い鑑定士による真贋の鑑定というものについて、客観性や社会的許容性を担保することが難しいという面がまず挙げられます。 調理師免許を持っていることと、名料理人がイコールで無いことに似ています。

 さらに、本質的に見れば、美という有機的で不明確な基準に基づいて、本能的にものの根幹を見抜き得るような「感覚性」というものは、 単なる専門的な体系的知識からの「論理判断」をもとに優劣や可否が判断「出来るか出来ないか」を少し試行錯誤すれば、そこにすべてが示されているといえます。つまり、不可能なのです。

 同時に美的な鑑定に必要な教養というものは、鑑定に必要な美術や歴史、社会背景などの知識とはニアイコールに過ぎないというひじょうに難しい面もあります。

 もっとふみこめば高額な美術品ともなれば、「資格」化した場合の責任として、税金予算の絡む国立機関の施設などの名誉としての複雑な意味や、厖大な金額的なリスクもまた無視できないものです。

 確かに「美術鑑定士」という仕事はあり、それで収入を得ることは可能です。さらに裁判や国宝選定などの現場で公によって担保される「国選鑑定士」も存在します。 しかし、それも基本として業界内の「実績」と「定評」によって与えられる「称号」のような資格です。ユーキャンで取得可能な一般資格というわけでは無いのです。

 氾濫する「鑑定士」

 一般に古美術の鑑定家と名乗るには、日本の場合ですと「XXさんのところで10年修行させてもらった・・・。」というような、 ギルド徒弟的な意味で老舗での修行という経歴を前提にはしているものの、実質的にギルドが崩壊した今、鑑定士は結局、職業的な現実そのものであると言いいきれるかとおもいます。

 たとえば今日からリサイクルショップの店員さんが、「自分は毎日鑑定している」という理由で、道義性や事の善悪、生業としての実際を無視しさえすれば、「美術鑑定士」と名乗ってもなんら問題は無いのです。

 職業的に現実として鑑定していれば、質やレベルはどうあれ「鑑定士」と名乗っても、日本では法律違反にはなりません。

 結局、こうした側面が私称、詐称の温床の背景となるわけです。

 初めて聞いた時は驚いたのですが、ある質屋さんがたまたまの買取りの中国古美術で膨大な利益をあげ、手に入れた大金でチェーン展開の質屋チェーンを買収しました。 そして、昨日まで質屋の貴金属やブランド品の鑑定社員に「古美術鑑定士」も名乗らせて全国展開で営業をしていると、業界の古老が苦笑しておられました。

 注意しなければならないのは私共が扱っている古道具ではなく、古美術品の分野での鑑定士です。特にメディアやネットなどでは玉石混合のカオス状態です。

 古美術業界は1980年代のバブルの前頃までは、数寄者の趣味道楽という世界が確立しており、流通も職業的な研鑽も古い業界ギルドに守られ、 実力本位の「狭い業界」のなか、みずからを鑑定士と述べるには勇気がいりましたし、なにより実力がないと仕事になりませんでした。

 売る側と買う側が相互に顔見知りというような世界では、業界の評判はすぐに誰もが知るところとなり、「一人前」と呼ばれるには膨大な努力と才能の研磨が必要でした。

 ギルドの崩壊

 しかし、バブル景気が人心を蠱惑し、その狂乱の中で購入する側も変質します。趣味狂いの愛好家や研究家だけでなく、投機目的の企業や流行に刺激されて手を出す金満家が市場を席巻するようになると、 自称、古美術商。自称、鑑定家という人たちが、古い業界の規律の外側で暗躍するようになりました。そうなると全体の質は低下し、玉石混合の混乱期へと業界は進み始めます。

 結局、こうした側面が私称、詐称のオンパレードという現実を作り上げたと言えます。

 そして、もちろん現在でも、古い数寄者や美術館などを相手にする古美術の老舗は確かに残ってはいますが、全体をみればそうした古い体質を持つところはもはや少数派です。

 今でも、有名古美術商の子弟は有名芸術大学か国立大学の美術分野で学士程度は最低限取得し、その後、東京や京都の有名他店で10年程度弟子入りしてみっちりと修行します。 つまり、そうした徒弟修行の前提が「資格」として「美術鑑定士」を作ってきたというのが、美術鑑定士資格の実相です。

 そして、実際はその修行時代を終了してからがスタート地点で、業界内での一定の評価を獲得するには余程の美的センスと血の滲むような研鑽が必要です。 修行後の実戦段階で敗北し業界から脱落する人の数は膨大なものです。「美術鑑定士」とはつまり、結果に与えられる資格なのです。

 結果、時代の激烈な変化とともに古美術商の業界ギルドは崩壊し、強い先達の目が光らなくなってしまいました。 「自分は古美術に熟達しているので何でも鑑定可能だ」とか、「私は目利きだ」と自分で名乗ってしまうような業者さんが増えました。 本来、名刺に「美術鑑定士」と刷れる人というのは、ギルドの徒弟制度で中で長期間研鑽を重ね、 さらに売る側と買う側が膝を付き合わせる狭い業界の中で、押し出されるように肩をたたかれてなんとか名乗れるという社会による補完的な「名乗り」というべき資格であったわけです。

 昔も名乗るのは自由でしたが、社会が認める押しも押されぬ定評としての「資格」がなければ、誰にも相手にしてもらえず、なんの意味もありませんでした。

 しかし、今はそうではありません。ギルドが崩壊し、業界は単なる市場として開かれ、その中でどう名乗ろうと自由だという時代が到来してしまったわけです。 もちろん、業界内では古い秩序はありますが、ネットの世界で名乗ってしまえば、一般のお客さんにはまずその信頼性がどのレベルかなんて全くわかるわけがありません。

 着物を着たそれっぽいTVの鑑定家のような人にそう言われれば業界外の方々はそんなものかなあと思ってしまわれると思いますが、 しかし、実際の業界内の鑑定というのはそんな生易しいものではなく、専門鑑定家でさえ専門分野で時に間違いを犯すほどの難しいものです。

 同時に鑑定の基礎となる知識もまた、その分野ごとに、国ごと、時代ごと、作家ごとに膨大なものです。社会背景も技術体系も網羅しなければなりません。 まして、毎年のように学術上の新説や新発見が登場し塗り変わり勉強に追いまくられるのが実際の鑑定業の日常です。

 心理の落とし穴

 そういう視点からいうと美術品鑑定業と名乗るのは勇気のいることで大変怖いことです。 さらにいえば、最近巷で横行している「あらゆる美術品に精通する」などということは、実質的にはちょっと考えにくい不思議な自己PRです。

 仮に自らを「万能鑑定士」と名乗るなら、まず膨大で体系的な知識量と激烈な知的研鑽を経てウィキペディアなんて話にならないような深く広い広いジャンル全ての深い教養を身につけなければ鑑定は不可能です。何より、 あらゆるジヤンルで美的な超越的感覚性を全て兼ね備え、常に最新の学説と時価評価額などをふくめて世界中から最新情報を更新可能・・・まあ、論理的には確かにそういう劇画の世界のような人がいれば、 もしかすると可能かもしれませんが、ちょっと現実には不可能かと思います。

 少し考えれば分かることなのです。例えば軽四輪の自動車設計の専門家が、飛行機の墜落事故原因の専門鑑定もできます。大型客船の構造設計もできます。国立競技場も「職業レベル」で設計できます。と言えば滑稽なのと同じようなお話です。

 仮にそんなレオナルドダビンチの再来のような人が居るなら、軽四輪の自動車設計を職業的に続ける必要はほぼ無いと言えるでしょうし、NASAやgoogleも含めて世の中がほっておくとは思えません。

 ショー番組に過ぎない、TVの「鑑定団」でさえも分野ごとに専門の鑑定家がいますね。 高名な画家になると横山大観なら横山大観、ゴッホならゴッホ専門の専門鑑定師がいるのがその世界です。

 画家でも陶芸家でも、作風の変化や作品の政策年代、内容の質・・・つまり、作り手の一生を通じて千差万別であり、制作量の多い高名な作家一人の人生を追うのでさえ大変難しいことで、市価評価の変動も複雑です。

 それが例えば印象派というグループだけでも、全てを網羅するのは極めて難しいことです。まして、時代や絵画のジャンル、 さらには国をまたげば、例えば西洋絵画というジャンルだけでも「自分は目利きです」とはなかなか言い切れるものでは無いはずです。それが陶芸から書まで鑑定可能・・・真相がどうなのかは言を待たないでしょう。 まして、それに真贋という悪意や巧妙なトリックが絡むのです。考えるだけでも、怖くて「おれは万能鑑定士だ」なんて名乗れません。

 普通のお家には鑑定価値や相場が社会的に確定した歴史的に著名な作家の「名品」など、なかなかあるものではありませんから、一般の方にはそうした名品の万能の「目利き」と言われてもまるで雲をつかむようなもので判断しようも無い話です。

 逆に言えば、買取りをする側が、あまりにも大々的に名品の鑑定ばかりHPで宣伝しているという事は、名品など滅多にない事を前提にして、「あなたのもの」はそれに比べれば「レベルの低いもの」と指摘されかねないという危険性が潜んでる点について考えてみるべきかと思います。

 つまり、後出しジャンケンのようなもので、「万能鑑定士」と名乗る人によって、「あなたのは「名品」じゃないから安くで買いますね!。目利きの私にはわかるが、そうじゃないあんたにはわからんでしょう。」と言われて、 一般の方にそれがわからないし、抗えないのだという単なる権威型の心理トリックなのですが・・・。

 鑑定を鑑定する

 本当に業界で有名な超一流の鑑定どころは古道具など鼻にもかけず、良いものだけを正確に鑑定し、きれいな価格をつけて帰ります。
 当社が専門とする「古道具」というものを彼らは歯牙にもかけません。昔の生活用具である生活レベルの食器やタンス、照明器具などは古美術商はもともと扱わないのです。

 反対に「高名な鑑定家」を「自称する人」は、普通のお家に谷文晁や横山大観、宋時代の書があるわけがない事を前提に「高価買取り」を宣伝している場合があるわけです。 つまり、それ以外を安く買うことを前提として、お客さんの側の「ひょっとして」を煽って、「先月は、雪舟を2000万で買取りまして・・・」と宣伝しているという側面もあります。

 「つう」とか「目利き」とは、普通は自分でなのる事ではありません。自分で言ってそうなれるものではありません。業界のギルドで黙認され、先達からなんとか認めてもらい、他人がひやかしや畏敬、羨望をこめてそう評価するものかと思います。

 ですから、皮肉な話ですが、まずタウンページやホームページの派手さや自己宣伝の声の大きさではなく、一般の方々が先に鑑定士を鑑定しなければならないという難しい時代になりました。

 おそらく、一般の方は本物の「一流の鑑定家」を相手にされる機会はほぼ無いと言えます。

 あくまで「目利き」や「一流の鑑定家」とは、専門業界内のその人に対する評価だからです。 趣味人としてうるさいお客さんの側や美術業界のそれなりの人たちによって、「さすがに、あの人は一流だねと・・・・。」と、自然発生的にそう呼んでもらえる人達を指すかと思います。

 もちろん、そうありたいものですが、そう呼ばれる人たちはもはや日本では片手の数もいないかもしれません。

 「一流鑑定家とは何か?」 おわり。

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